お問合せ 採用・求人 ネット注文 マイページ

組合員さんの声
(平和のメッセージ)

声を検索

父の自分史

平和のメッセージ
2026年08月

 父が書いた自分史が実家に残されていたので書き写していました。1926年(大正15年)6月生まれ。亡くなって今年で12年。存命ならば今年100歳。
 生協が平和の取り組みをされているので、亡父が書いた戦争体験を少しでも参考になればと送ります。
日向市の組合員さんからお父様が遺された「戦争体験とその後」の文書を送っていただきました。

戦争体験とその後 岩田三郎(享年88歳)
学卒後、日本発送電(株)に入社。昭和20年3月、山口県徳山市櫛ケ浜の暁部隊に船舶通信兵として入隊した。
 
無線通信兵に編入され、乾パン2個を貰い、軍用列車で広島に移動中、大竹石油基地の手前のトンネルを出た時、B29に爆撃され、機関車と前2両が爆破。私は後方の車両に乗っていたので無事であった。しかし、そのため、呉までは行軍しなければならなかった。途中、大竹燃料タンクの火災に出合い、火の海の中に、裸馬が焼け爛れて走るのを目撃した。

広島県三原市の通信学校に入校し、教育を受けた。比治山公園の郊外教育場はこの後、原爆投下で灰儘に帰した。私も出発が1週間遅れていたら原爆の犠牲になっていた。

教育期間中、夜間は防空後掘りで作業用具はツルハシとモッコのみの手作業で働くので、若い兵士たちは腹が減って仕方がなかった。

検閲終了後、交信のできる者2名と他3名が班を組み、宇品から軍用列車で南下した。車窓は目隠しされ行先は不明であった。
軍隊はデマの多い所で朝鮮方面に行くとか、人間魚雷に乗るのではないかとか噂が絶えなかった。
さらに関門トンネルを通過し南下中、南延岡に停車した。

小丸川鉄橋が爆破されたため下車し、2~3日そこに宿泊。小丸川近々まで列車で行き、日南の飫肥中学校まで行軍し、鹿児島県財部町へ無線機受領に出発した。

日南線は空襲が激しく列車は頻繁に停車し避難ばかりでなかなか進まなかった。

しばらくして到着したが、司令部は空襲を避けて、山の洞窟内にあり、そこで無線機を受領。2人で手回しする500ワットの発電機であった。

財部に宿泊中は敵のグラマンに機銃掃射されまさに九死に一生の経験をした。

帰隊後、細田小学校で電信局を開局し、1日3回位の割合で司令部と交信する中20年8月15日終戦となった。江口曹長の訓示を拝聴する兵士一同に嗚咽が広がった。

北郷小学校で武装解除を受け、昭和20年9月に復員し、日発(日本発送電)に復職。

昭和26年、上椎葉発電所建設所に転勤。同年、社名を九州電力と改称。日本最初のアーチ式ダムを建設した。

子どもや孫のことを考えると不安

平和のメッセージ
2026年08月

 毎日、テレビを見ていると世界情勢がとても不穏な時代で戦争のことを考えると心配になります。私は終戦の年生まれ(昭和20年10月)で、身重の母は防空壕での出産になるのではと・・・心配したそうです。幸い8月終戦となり自宅での出産で、今年で81歳になります。 私の人生もあと僅かですが、子どもや孫のことを考えると心配でなりません。人が人と殺しあう戦争があってはなりません。

戦争に巻き込まれたくない

平和のメッセージ
2026年08月

 世界共通語を提案します。「先に手を出した方が負けです」人生100年、いくらがんばってもわずか100年です。2度とない人生、平和に有意義に暮らしましょう。地球上で1番高等な人間、能も知恵もあるんです。人間が平和を作らなくて誰がつくるんですか?世界中の人々は誰も皆100%平和を願っています。なのになぜ戦争を起こすのでしょう。たった一握りの人間が起こす戦争に巻き込まれたくないです。絶対に!

戦争は体験しちゃいけません

平和のメッセージ
2026年08月

 私の祖父は日露戦争、祖父の弟は日清戦争、私の父は第2次世界大戦、祖父だけは生還、2人は戦死。私にとっては父の戦死こそが戦争の痛ましさ、悲惨さを実感させてくれます。だからやっぱり体験することこれ以上のものはないだろうとつくづく思います。でも戦争だけは体験しちゃいけません。どう考えてもこの馬鹿げた行為は許されるものではない。まさに滅びんとするこの地球、宇宙までも人類の破滅に急いでいる私達人間です。愚かとしか言いようがない。

戦争は繰り返されては絶対にいけない

平和のメッセージ
2026年08月

 私は中学2年の修学旅行で長崎に行きました。その時資料館で気分が悪くなりました。あまりのひどさにです。ケロイドになった顔腕体見るに堪えませんでした。そしてバスガイドさんが教えてくださった歌をいまだに忘れられません。
戦争は繰り返されては絶対いけないのです。
教えてもらった歌です。
♪ふるさとの街焼かれ 身よりの骨うめし 焼土に 今は白い花咲く
 ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を われらの街に♪

世界のトップの方へ

平和のメッセージ
2026年08月

爆弾ではなく、花火を作ってほしい。
世界のトップの方々へ……。
手もはさみ✂も、使いようです。
それと一緒!!

防空壕に駆け込んだ思い出

平和のメッセージ
2026年08月

 子どもの頃、戦争がありました。敵機(B29)が飛んでくると近所のおじさん(なぜ出征しなかったのかいまだに謎です)が手持ちのメガホンで、「警戒警報!」「警戒警報!」と叫んでまわるので、私共は何をさておき、まっしぐらに防空壕に駆け込みます。B29は赤江の飛行場を狙って爆撃していきます。あまりにも頻繁に飛んでくるようになったので私共一家は近郊の家に疎開しました。終戦を迎えた後は大変な食糧難で“配給”というのがありましたが、食べ盛りの子どもたちを満足させるほどにはありませんでした。

子や孫にこの幸福が続きますように

平和のメッセージ
2026年08月

戦争は絶対いや!私は80歳、戦争は知らないけど、貧乏な生活はしっかり味わいました。今は幸福です。この幸福がずっとずっと続いてほしい。子や孫に今の健康で幸福な生活を続けさせてくださいますよう願うこの頃です。

戦争なんてやめて欲しい

平和のメッセージ
2026年08月

 戦争なんてやめて欲しい。他国のことを勝手に言って攻撃しないで。欲が深すぎて他国を攻撃している。みんな同じ人間です。自分だけ偉いのじゃない。日本も強い国に遠慮しないで。戦争にならないで。

千人針を縫った祖母

平和のメッセージ
2026年08月

 毎年この企画に賛同し、参加させていただいています。
 大正10年生まれ(平成28年没)の祖父、大正15年生まれ(平成23年没)の祖母を持ち、例年祖父の若き下士官時代のお話を書かせていただいていましたが、今年は祖母の銃後のくらしのことを・・・。
 終戦の年、19歳の祖母は寅年生まれであることから、出征される兵隊さんの「千人針」をたくさんの方に頼まれていたとよく話していました。今、この現代に置き換えて考えれば、誰が19歳で「今日は何枚千人針(の腹帯)を縫ったぞ!」など言うでしょうか?それでも祖母にとっては忘れられない19歳、終戦の思いでなんでしょうかね・・・。田畑義夫さんが大好きだった祖母、名曲「19の春」さながらの出来事です。

採用・求人 ネット注文 マイページ