私は長崎の浦上地区で生まれ育ったので、小さい頃から原子爆弾や平和についての学習をしてきました。また曽祖父が戦場から奇跡的に生きて帰れたが、耳の真横を弾が通り振り返ると仲間が即死していたという話や、祖母が満州から引き揚げて帰国した際に受けた差別の話を聞いてきたので戦争や核兵器の使用についてはしっかりと若い世代へ伝え続けるべきだと思います。
組合員さんの声
若い世代へ
戦争は人災
戦争は人災、時の政治家やそれを支持する人々が一部その責任を負っていると思う。自然の災害や事故などは予測もできず不可避!でも戦争は違います。人々の努力で回避できるものです。そして人間にとって最大の不幸、戦争中は病気も障害も老いも全てが無視される。
世界、日本はどうなっているだろう
40年前、二人の子育てをしながらこの子たちが大人になった頃世界は豊かになり戦争などないだろうと思っていた。だが、今世界はますます不穏になり、あちこちで戦争が始まっている。6月で3歳になったひ孫。この子が大人になった頃、世界は、この日本はどうなっているのだろうと不安になる。
反省させられる
戦いのない平和な世界は本当に可能なのでしょうか。ミサイルだの核だのという言葉が飛び交い地球の破滅へと向かっているように思えてならない85歳の遺児です。私たち人間は本気で阻止しようと思っているのか、本当になす術はないのかと反省させられます。語りつぎメッセージを送り叫び続けるしか方法はないものか、残念ながら諦めの境地です。しかし遺児が増え続ける現実、悲しいし許し難いのです。
どうして戦争が続くのか
何ひとついいことなんてない、誰も幸せにならない。わかりきっていることなのにどうして戦争が続くのでしょうか。自分の利益のためだけに支配しようとしたり、抹殺や排除の行為が何の意味も持たないことを大人はどうしてわからないのでしょうか。自分だけの生きる意味だけでなく、他の人、自分の隣にいる人のことを考えてほしいです。自分だけ幸せになっても世界は続かないと思います。
平和の意識付け
小学校・中学校・高校の年間行事の中で戦争のことを子供たちに伝えていただくことをもう少し強化して欲しいと思います。例えば夏休みの登校日を終戦の日・原爆の日に。修学旅行でも知覧の特攻平和会館、長崎、広島などの原爆資料館などの見学と教育課程の一つとして今からの若い人たちに平和を意識づけてほしいと思います。
母の話
96歳を迎えて亡くなった母が2年程前に自分が17歳くらいの時の話をし始めた。この頃、母は認知症や幻覚が激しく母の話が本当のことなのか疑問でもありました。何度も同じ話をする母の話は、17歳の時、鹿屋の知り合いの薬屋で奉公しながら特攻隊を見送ることだったと話す。何処の誰だかもわからないが、飛行機の中から手を振る人のことを考えると自分も涙が止まらなかったと。母も戦争で2人の兄を亡くしています。急きょ、姉と3人で鹿屋に向かいましたが、以前とだいぶ変わっていて母も複雑な顔をしていました。
夫婦で大塚店のファン
大塚店のレジで父の日プレゼントにいただきました。「お父さんありがとう」のシール付きです。つまみにいただいた夫が「今度大塚店に行ったら買おう!え~っと名前は?」と答えました。2005年にコープに入った頃は「本のところで待っている」と言ってた夫が「こんなのがあった」とか、お気に入りを探してくるようになりました。夫婦で大塚店のファンです。いつも笑顔の対応、ありがとう。
孫娘のためのにこにこ便
新生活をスタートしたばかりの孫娘に、時々にこにこ便を送っています。花ケ島店のサービスカウンターで手際よく荷造りしてくださり、大助かりです。本当にありがとうございます。お気に入りの鶏の炭火焼きやゴボチなど、ふるさとの味を楽しみに堪能している様子で「嬉しい!」を連発♡おばあの気持ちも一緒に届けてくださり感謝です。
よろず・組合員さん同士の助け合い(草取り)
何でも話せて、相談を受け止めていただきました。後で自分でしようと思っていた作業までしていただき、感謝しております。